マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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ちょこっと解説

再びファリサイ派の人々との論争が始まっています。
今回は「昔の人の言い伝え」についてです。
ファリサイ派の人々が守っていたものは、旧約聖書に定められている「律法」だけではありませんでした。
聖書の律法をより厳格に守るために、聖書の律法の記述を六百十三の箇条書きにし、さらにそれを細かな事例とそれに対する正しい行いを追加の厳格なマニュアルとして定めていきました。
当時の人々がこのようにした理由は「律法を正しく守る」という神様への信仰によるものでしたが、マニュアル化された律法を何百年も守り続けていると、むしろマニュアル化された文章のほうさえ聖書と同じ権威を持つようになっていきます。
これが、律法学者たちがイエスに告げた「昔の人の言い伝え」なのです。
しかしイエスはこの昔の人の言い伝え──律法を解釈し、人の手で作った新しい決まりを利用することで、本来聖書の律法が求めている信仰的な行いを回避することができてしまっている、という弱点を指摘したのです。
イザヤの預言を引用し、もはや彼らが神への信仰のために律法を守っているのではない、と厳しく告げることで、悔い改めを求めているのです。

ティルスとシドン──異邦人の地域であるカナンの女性に対して、イエスは始めこそ悪霊の癒やしを求める女性に対して無視を決め込んだり、最初は「イスラエルの家の失われた羊(24節)」、つまりユダヤ人を救うためだけに自分は来たのだという遠回しな拒絶を行います。
しかしそれでもカナンの女性が諦めることなく、イエスの言うユダヤ人の救いのおこぼれ、、、、 、「パン屑(27節)」でもよいと謙虚にへりくだって求めると、一転して「あなたの信仰は立派だ」と癒やしの奇跡を起こしていくのです。

イエス自身も、旧約聖書では神に選ばれ、神の救いをまっさきに受けるはずのユダヤ人、しかも聖書を教えるスペシャリストたちが、信仰を失い、自らの権威を保つためだけに神の言葉である律法を利用していたことに、深い落胆を覚えていたのかもしれません。
自分はその神に選ばれし同胞のユダヤ人たちを救うために来たはずなのに……という目的と現実のギャップにショックを受けていたことでしょう。
そこで出会ったカナンの女性の粘り強い信仰に、むしろイエスのほうが励まされたのではないかと思わされます。
だからこそイエスは突然手のひら返しをするように彼女の娘を癒やし、さらに大勢の群衆たちの病を癒やす奇跡、また再び四千人もの人々満たすというという奇跡を起こす活力を与えられていったようにも思えるのです。

イエスが伝えようとした天の国は、どこか区切られた場所を指すのではなくその関係性、、、 に来るもの、というみ言葉が、イエス自身においても顕されているのです。