マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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ちょこっと解説
世界の終わりがやってくる時にも惑わされず安心していなさい、と前章で呼びかけられたイエスは、その終末が来るときに私たちがどのような態度でそれを待つべきかを示しています。
「十人のおとめ」のたとえのなかでは、準備を怠ったおとめたちが、その場で主人にたとえられる神様がいざ来られたとき──つまり終末がきた瞬間に、それを迎えられなかったために、「わたしはお前たちを知らない」と天の国からばっさり切り捨てられる、というたとえ話になっています。
これは、神様が天の国に入れる人を選別をしたがっているのだから振り落とされるな、という警告なのではありません。
人は罪から逃れることはできません。わたしたちは誰しも、ついつい「このくらいでいいだろう」「ちょっとくらいいだろう」と自分を甘やかす方に向かっていってしまうものです。
しかしそのたった一回が、見えないうちに広がる腐敗のように、私たちの信仰全体を台無しにしてしまうのです。
喜びにあふれた「婚宴(22章)」に全ての人を迎えたいと願ってやまない神様だからこそ、いつでも「神様の前に立つ準備はできている」という心で日々を過ごすことの大切さを私たちに忘れてほしくないのです。「礼服(22・11)」のくだりにも表されていた通り、神様の救いはただ受け取って終わりではなく、それに対する私たちの具体的な応答がセットなのです。
そしてその応答とは何かについて、続くイエスの言葉に表されていきます。
「タラントン」は英語の「タレント」、つまり才能を意味する言葉のもとになったギリシャ語ですが、元々は神様から与えられた「賜物」をあらわす言葉です。
一人一人に神様から預かった賜物は違います。五タラントン、二タラントン、一タラントンと、人によって才能の豊かさや乏しさに目が向くかもしれませんが、このたとえ話で大事なことは、与えられた才能の大きさではありません。
大事なのはそれを活用するかどうかです。活用した先の二人には、主人にたとえられた神様は同じ言葉をかけているからです。
しかし、与えられていながら一切活用しなかった一タラントンの者は、それすらも奪われてしまうのです。
一タラントンは当時六千デナリオンに等しい額で、一デナリオンが一日の日当に等しいとされていましたから、一タラントンでもとんでもない額だということがわかります。
つまり、私たちに神様から与えられた才能はそれぞれ違うけれども、私たちにとっては役に立たない才能など一つもない、ということです。
あなたにふさわしい、もてあますほど豊かな賜物を、きっとあなたにも神様は与えてくださっている。きっとそれを活用してくれるだろうと神様は信頼して、それほど大きなタラントンを預けてくださっているのです。
そして、神様が再びやってくる時、そのタラントンをどう活用したのかが問われます。
天の国に入れられる右の人々と、永遠の火に焼かれる左の人々とに分ける裁きが行われる、とイエスは言います。
これは黙示録にも出てくる「最後の審判(黙20・12)」のことでしょう。ここで大事なのは、天の国と永遠の火のどちらに行くかは、「誰のための善行であったのか」に目が向けられています。
善い行いをすればそれでよい、ということではありません。
左側にいる人々へのやり取りからわかるように、滅びに定められた彼らは善行を怠ったわけではありません。
神様から救いにふさわしい人間として認められるという目的と栄誉を得るために、手ごろな相手を探して形だけの善い行いをした、ということが、神様の心には適わなかったとされているのです。
大事なことは、立派な、誰からも褒められるべき偉業を成し遂げる事ではありません。
「のどが渇いていた時に(35節)」、「冷たい水一杯でも飲ませてくれる(マタイ10・42)」行為のような、何気ない、小さな、しかし目の前の人の心のその状況に深く寄り添い、必要な助けを差し出していくという愛こそが、天の国に迎え入れられるほど、神様に喜ばれることなのです。
小さく弱くされている人の多くは、社会の中で排除され、無視され、面倒がられ、避けられることが多い、という現実は、いつの時代でも同じです。
しかしその人の中にこそ神様がおられる、ということを教えることによって、イエスは、この世界の誰一人取り残さない、全ての人を愛し抜く神様の心に適った生き方へと私たちを導こうとされます。
あなたの周りに生きる「最も小さい者の一人」とは、いったい誰のことでしょうか。
それはあなたの嫌いな人かもしれない。あなたが蔑んでいる人かもしれません。
みんなが、その人を無視していい、ひどく扱っても構わないと思っている人かもしれません。
もしかしたら、あなたにとっての、あなた自身のことかもしれません。
あなたのタラントンを、その人のために使おう、と。
心と考えを尽くしてその人に寄り添う時。
あなたはその人の中に、きっとイエスを見出すことになるでしょう。